東京地方裁判所 昭和56年(ワ)590号 判決 1981年10月08日
原告 中原良治
右訴訟代理人弁護士 城下利雄
被告 堀ミキヲ
右訴訟代理人弁護士 川島仟之助
右訴訟代理人弁護士 森口静一
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、金五〇万円及びこれに対する昭和五四年八月九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生
訴外松崎登美子(以下松崎という)は、被告から東京都北区田端新町三丁目一三番二号所在堀美荘(以下「本件建物」という)の二階の一室(以下「本件居室」という)を昭和三四年頃より賃借居住して居り、原告は同女方の同居人であるが、原告は昭和五四年八月八日午前八時頃本件居室の雨戸を開けようとして窓外側の木製手すり(目隠しを兼ねている)に触れたところ、手すり部分が腐朽していたことから、手すりが外れ原告は手すりと共に地上に転落した(以下「本件転落事故」という)。
そして、原告は右事故により全身打撲、胸部・右下腿・右前腕擦過挫傷・左第三指挫創の傷害を負った。
2 責任原因
本件居室の手すり部分は建物自体の外壁の構成部分であって、本件建物の所有者であり且つ賃貸人である被告が直接占有しているものである。そして、本件事故は右手すり部分が腐朽していたことに基づくものであるから、被告は民法七一七条一項により原告の被った後記損害を賠償すべき義務がある。
3 損害
原告は、本件事故により前記のとおりの傷害を受けた。右傷害のため原告は受傷当日佐藤病院で治療を受けて帰宅したが、その後も全身の疼痛のため身動きできず病臥し三ヵ月後に漸く歩行できる様になった。その後は都立駒込病院に通院しているが、全身の痛みが続き、更に言語障碍がおきるに至り、現在は、言語障碍、歩行困難、手作業困難の状態にある。
したがって、本件事故による原告の受傷に対する慰謝料は、五〇万円が相当である。
よって、原告は被告に対し、金五〇万円及びこれに対する本件事故発生日の翌日である昭和五四年八月九日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をもとめる。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1について
被告が、松崎に対し本件建物の二階の一室を賃貸していること及び原告が松崎と同居していることは認めるが、本件転落事故の発生は否認する。すなわち、本件転落したと称する窓から地上までは約三・七六メートルの高さがあるから、原告主張のとおり転落したものとすると、明治四一年三月生で当時七一才の高令であった原告が原告主張程度の傷害ですむとは条理からするも到底考えられないし、近隣者も原告の転落時の騒音や現場を知っていない。しかも、転落窓の直下には一階窓のビニール庇が出ており、更にその下部にはビニール張の塀が存するが、いずれも何らの毀損、破損はみられず、修復の跡もない。以上の状況からするも本件転落事故が発生したとすることは甚しく疑問である。
2 同2について
被告が本件建物の所有者であり、且つ賃貸人であることは認めるが、その余は否認する。本件手すりは、本件賃貸部分の窓に専用設置されたもので、その占有者は本件居室の賃借人である松崎であり、被告ではない。
3 同3について
否認する。仮に、原告が本件転落事故によりなんらかの傷害を負ったとしても、原告の主張する言語障碍、歩行困難あるいは手作業困難の状況は、原告が本件事故以前から罹患していた胆石症、糖尿病等(原告は、都立駒込病院において昭和五一年一二月一一日に胃潰瘍、食道ポリープ、胆石症、糖尿病と、同五四年一一月九日に陳旧性脳硬塞と診断されている)の老人性疾患に由来するものであり、本件事故とは因果関係がない。
第三証拠《省略》
理由
被告が本件建物を所有し、本件建物の二階の一室を松崎に賃貸していること及び原告が右松崎と同居していることは当事者間に争いがなく、これと《証拠省略》を総合すると、以下の事実を認めることができる。すなわち、
1 被告は、昭和三三年ころ、新材のほか古材をも利用して、東京都北区田端新町三丁目九番地上に二階建の共同住宅堀美荘(本件建物)を建築したが、右建物の二階は、独立した三つの貸室に分れており、それぞれの貸室の窓際には目隠し用の木製の手すりが設置されていた。
松崎は、昭和三四年ころ被告から本件建物の二階の一室(二階に存する貸室のうち窓側からみて最も右側の室、本件居室)を借受け入居したが、原告も同じころ本件居室において松崎と同居するようになり今日に至っている。
2 原告(明治四一年三月一日生)は、昭和五四年八月八日午前八時ころ本件居室で起床し、雨戸を開けるべく一枚目の雨戸を左側の戸袋に納め、二枚目の雨戸を開けようとした際、重心を失なってよろけ、本件居室の窓の外側に設置されていた目隠し用の手すり(以下、本件手すりという)に触れたところ、築後二〇年余を経て老朽化していたことから右手すりが基部(取付部分)から外れ、そのはずみで約三・七メートル程下の地上に転落した。
右転落事故により、原告は、胸部・右下腿・右前腕擦過挫傷、左第三指挫創の傷害を負ったが、受傷当時意識は平常であり、レントゲン検査によるも著変は認められないと診断された。
3 右転落事故発生当時、本件建物は築後二〇年余り経過し、古材等を利用していたこともあって、全体として老朽化が進んでいたが、本件居室の本件手すりについては、松崎及び原告において危険であることは感じておらず、したがって右原告らにおいて被告に対し本件手すりの補修を要求したことはなく、また自ら補修することもなく放置していた。以上の事実を認めることができる。ところで、被告は、本件転落事故の発生を否認し、原告主張の傷害は七一才の老人が三・七メートル程の高さから転落したことによるものとしては軽傷にすぎて不自然であり、本件転落窓の直下に存する一階窓のビニール庇等に毀損、破損の跡がみられないと主張するが、転落による負傷の程度については具体的場合により異なり一律には論じ得ないことは明らかであり、前認定の原告の傷害が本件転落事故によっては発生しないものであると断ずることはできず、また《証拠省略》によると本件居室の窓の直下には一階窓の約五〇センチメートル前後の長さのビニールの庇が存在すること及び右庇には外力による特段の破損個所は存しないことが認められるが、そのことのみから本件転落事故が発生していないとは推認できず、《証拠省略》によると本件手すりが脱落したこと及び原告が昭和五四年八月八日前認定の傷害を負ったことは明らかであるうえ、本件転落事故以外の原因によって右傷害を負ったことをうかがわしめる証拠は何ら存しないのであるから、右各事実に《証拠省略》を総合すると、本件転落事故が発生したものと認めるほかないというべきである。そして、その他には、前認定を左右するに足りる証拠はない。
右事実によると、本件転落事故の発生には本件手すりが老朽化し脱落し易い状態になっていたこと、即ち、本件手すり部分に瑕疵が存したことが重要な要因となったということができ、また本件手すりは、本件建物の一部として「土地の工作物」に該るといえる。
そこで、原告の民法七一七条に基づく主張について検討する。
原告は、本件手すりは、本件建物の外壁の構成部分であって本件建物の所有者であり賃貸人である被告が直接占有しているものであると主張するが、前認定事実によると、本件手すりは、本件居室のために設置された本件居室専用の目隠し用手すりであり、本件居室と一体として賃借人松崎の直接占有下にあったものということができ、右松崎と昭和三四年ころ以来同居していた原告は松崎の占有補助者と認めることができる。即ち、本件手すりは、専ら本件居室の利用者の便益のため設置されたものであり、松崎は本件居室を二〇年余に亘り被告から賃借し、その間右手すりを使用していること、本件手すりは本件居室の窓際に設置されており、その保存状態については、賃借人たる松崎においてこそ能く老朽化の程度等の現況を把握することができるのであり、瑕疵が発見できれば賃貸人たる被告にその修補を請求し、あるいは自ら補修することも可能であったということができるから、本件手すりは松崎の直接の支配下にあったものというべきであり、これが本件建物の外壁の構成部分として被告が直接占有していたとの原告の主張は採用し難い。
ところで、民法七一七条は、土地の工作物の瑕疵により他人に損害を生ぜしめたときは第一次的に占有者、第二次的に所有者がその責に任ずべきことを定めているのであるから、第一次責任者である占有者ないし占有補助者は右の他人ないし被害者には該当しないというべきである。本件においては、本件手すりを含む本件居室は本件建物、即ち本件工作物の一部分にすぎないけれども、独立区画され賃貸の用に供されている部分であり、松崎は賃借人として右部分を占有していた者であり、原告はその占有補助者であったものであるから、同人らは右占有部分に存した本件瑕疵についての第一次責任者と目すべき者であり(前認定のとおり、松崎ないし原告は、本件手すりが危険な状態にあるとは認識していなかったことから、特段の補修を施すことなく放置していたものであり、同人らには工作物の保存に瑕疵があったものといえる)、被告は所有者にすぎないといえるから、原告は、本件工作物の瑕疵に関しては、被告に対し前記法条にいう「他人」ないし「被害者」であることを主張し得ないものと解するのが相当である。
そうすると、原告が、民法七一七条にいう他人ないし被害者に該ることを前提とする原告の本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がないというべきである。
よって、原告の本訴請求は理由がなく失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 宗宮英俊)